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フジコ・ヘミング

こんにちは、米倉 環です。

皆様は音楽を聴き、魂を揺さぶられたことはございますか?




「ずっと本物の自信がなかった。」 

この言葉は、お母様に「あなたぐらいの実力ならどこにでもいる。」

と言われ続け、ずっと認めてもらえなかった過去を持つ天才ピアニストの言葉です。


フジコ・ヘミング 「魂のピアニスト」


日本クラッシックの常識を変えたとまで言われています。





物心つく前からずっとピアノと向かい合ってきたフジコさん。

どんなに厳しいレッスンにも逃げだすことなく

必死に取り組んできたフジコさんでしたが、

一度もお母様にほめてもらえる事はありませんでした。

厳しい練習と天賦の才能で、9歳のときには 

「天才少女」 とうたわれるまでになった人。





そんなフジコさんを悲劇が襲ったのは16歳の時。

中耳炎の悪化で、右耳の聴力を失ったのです。

音楽家にとっては致命的なこと。

それでもフジコさんは、けしてあきらめず、

左耳と自分のやってきた練習を信じて

その後数々のコンクールで賞を受賞していきます。





それでもまだ、本物の自信が持てなかったフジコさんは、

29歳の時にドイツに留学することを決意します。

そこで目の当たりにしたのは、 ハーフというだけでの差別。

貧しさ・孤独・バカにされる悔しさだったそうです。

留学の場をオーストリアのウィーンに移したフジコさんがそこで手にしたチャンス。

それは20世紀の音楽史にその名が刻まれている

世界的な指揮者レナード・バーンスタインとの出会いだったのです。

そしてその彼に、

「君は素晴らしいピアニストだ」とたたえられ、

もんくなしの音楽界への推薦を受けとり、

大演奏に出場するチャンスを手に入れたのです。

奇蹟はあるのだと心から思っていたそんなフジコさんを襲った

2度目の悲劇。

唯一残された左耳の聴力を失ったのです。





「いつか母に、私の実力を認めさせてやる。」 と思って歩んだ道は

もう乗り越えられないのではと思うほど、

次から次へと立ちはだかる壁。

どれだけの賞をとっても、どれだけ有名な人にたたえられても

「本物の自信を持つことが出来なかった。」

フジコさんの胸の奥の奥にある 「母に認めてもらいたい。」

この想いが大きなコンプレックスとなっていたのかもしれません。





両耳の聴力を失って、フジコさんはドイツのいなか町で、

ひっそりと暮らすことを決意するのですが・・・

この小さなまちで、自分の演奏を聞き、

心から感動し涙を流してくれる人たちに出会うのです。





はじめて、ピアノを弾く幸せ、自分への自信を持つことができた瞬間。

彼女のピアノが奏でる美しい調和に人々の魂もまた共鳴し震える瞬間。

「本物の自信」をあたえてくれたもの。

それは、地位でも名誉でもなく、

たくさんの人のいたわりの心と歓喜の涙だったのだそうです。





どんな困難にも屈することなく、音楽家としての道をあきらめなかった

フジコ・ヘミングさん。






無いものばかりに心を向けるのではなく、今あるものの幸せを

かみしめたいと強く思えるようになりました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。












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